●講師:名古屋大学名誉教授 中嶋 忠宏
●概要:ランナーやヨハン・シュトラウス父子を中心に発展したウィンナー・ワルツの遺産を継承し、さらなる展開をみせたオペレッタ作曲家たちの仕事とワルツの魅力を探ります。レハールやカルマン、ツィーラー等、シュトラウスII世以降に活躍した魅力あふれる音楽家たちの、万華鏡のようにきらびやかな世界を覗いてみましょう。
●講義進行状況:
01 《ジプシー男爵》のワルツ:ワルツが彩りを添えているのがウィンナー・オペレッタの大きな特徴といえるが、その先駆けがヨハン・シュトラウスU世であった。オペレッタとワルツとの深い関係を見るために、第3期で取りあげた《こうもり》以外の、シュトラウスのオペレッタをもう少し探っておきたい。
《こうもり》の次にあげるべきは、《ジプシー男爵》。ジプシー(最近はロマという)は謎に満ちた民族で、西洋史の表舞台には出てこないが、看過できない存在。とりわけ、音楽に与えた影響は少なくない。西欧音楽は、ロマン派の時代になって異文化に関心を見せ始め、非西欧的な音階やエキゾチックな和音、メロディー、リズムを競って取り込んだが、ジプシー音楽もその一つ。ブラームスやリストの作品例と並んで《ジプシー男爵》は、ジプシーの問題に注意を喚起させた点で貴重な作例だろう。多民族国家ハプスブルク家の地方問題を色濃く反映している。音楽的には、ハンガリー風、ジプシー風メロディーがてんこ盛りで、飽きさせず、観客に大受けであったのもうなずける。当初はオペラとして構想されていたこの作品は、もともとオペラを志向していたシュトラウスがオペラに最接近した最初の瞬間であった。この作品は、曲折を経た後、オペレッタに書き換えられてようやく日の目を見た。難産の子であったのだ。ワルツ風のオペラも悪くない気もするけれど、やはり《ジプシー男爵》はオペレッタの方が似つかわしかったといえようか。
02 《ウィーン気質》のワルツ:シュトラウスのオペレッタを締めくくるにあたって、オペレッタ《ウィーン気質》を取りあげる。もっとも、この作品は制作途中でシュトラウスが亡くなり、アドルフ・ミュラーが引き継いで完成させたので、独ピーパー社の『劇場音楽百科』のように、これをミュラーの作品とする音楽事典も多い(ミュラーにとっては〈棚ぼた〉だったろう!)。ただこの作品の音楽は十中八九が間違いなくシュトラウスの舞踏曲で、シュトラウスの作品として扱っても不当ではあるまい。先行して書かれたワルツ《ウィーン気質》(こちらは紛れもなく純度100パーセントのシュトラウス作品)を核として、これまでのワルツやポルカが惜しげもなく投入されている。それに、舞踏会、ヒーツィングのお祭り、シュランメル音楽、ホイリゲ、ワイン、およそウィーン的なるものが余すところなく盛り込まれている。ウィーン訛りまで聞ける。まずは、古き良きウィーンが手軽に味わえるすぐれもの。舞台はデープリング(19区)からヒーツィングへと巡るが、いずれもシュトラウス縁の土地。デープリングはシュトラウスが最初にワルツを作曲したところであるし、ヒーツィングでは名作《こうもり》が書かれている。オペレッタ《ウィーン気質》は、表題の通り〈ウィーン児の気質と血潮〉を教えてくれるが、そればかりか、ウィンナー・ワルツ入門でもあり、シュトラウス便覧であり、そして、ウィーン会議の時代へと――城壁があった頃の帝都へと私たちを誘うのだ。
03 《メリー・ウィドウ》のワルツ:シュトラウス亡き後のオペレッタ作家としてはなにをさしおいてもレハールだろう。レハール・レクチャーの手始めとして、代表作《メリー・ウィドウ》をとりあげた。この作品、ドイツ語からの音訳《ルスティゲ・ヴィットヴェー》では馴染みにくく、また《陽気な未亡人》と訳してしまうと「未亡人」という言い方に問題ありで、結局、英語からの訳が通用している。こうした奇妙な慣行は、実はこの作品が内包している構図と一脈相通じるかもしれない。れっきとしたウィンナー・オペレッタでありながら、舞台はパリ、登場人物がバルカンの国を連想させるような地域の人たちとくれば、この作品の錯綜した国際関係が見えてくる。そして、軽妙なラブ・コメディーの背後に、ハプスブルク=オーストリアの内政問題があぶり出されてきもするのだ。事実、自分たちの郷土を不当に貶められていると憤った当時のモンテネグロ出身者や同調者が実力行動でトリエステでの公演を阻止しようとした波乱もあった。ともあれ、魅惑的なメロディーの数々に耳を委ねるなら、聞き手はすでに大人の恋の物語の渦中にありで、上演中に大向こうから「ダニロ!」「ハンナ!」のかけ声がかかるのもむべなるかな。きわめつけは、ちょっぴり哀愁に満ちた、あまりに甘美な《メリー・ウィドウ=ワルツ》で、誰しも古き良きウィーンへと、そして各人の胸キュンなロマンスへと誘われる。レハールは、オペレッタに取り組む前は、軍楽隊勤務のかたわら勇ましい行進曲などを書いていた。ダニロとハンナが歌い上げるこんなに甘く切ない抒情的なワルツが流れてくるとは信じられないくらいだ。
04 《金と銀》のワルツ:レハールは単独のワルツとしてはわずか2曲しか作品を書いていないが、そのうちのひとつ《金と銀》と題されたものはウィンナー・ワルツのアルバムには欠かせない名曲となっている。表題自体はコテコテの拝金趣味を思わせなくもないが、そのいわれは、この曲の依頼主であったシャンドール侯爵夫人パウリーネがウィーンで開催した謝肉祭の舞踏会のテーマに沿ったものと伝えられる。《金と銀》が作曲された1902年の舞踏会は、テーマ通り、舞踏会場の装飾も踊り手の衣装も金色と銀色ずくめであった由。夫人は、ウィーン会議を主催した宰相メッテルニッヒの孫に当たる。オーストリア大使夫人として滞在したパリでも帰国した後のウィーンでも社交界の花形で、なおかつ福祉事業にも力を入れたので、今日でもオーストリア産ワインのラベルにその名をとどめているほどの才女であった。なによりも、このワルツ《金と銀》はまさに金粉と銀粉を振りまいたような趣の、華麗で艶やかな曲である。さらにはこのタイトルが、オペレッタの金の時代と銀の時代の対比まで連想させて、言いえて妙である。金の時代のスッペやシュトラウスを継承して、レハールはいぶし銀の輝きを放つオペレッタの名作を生み出していくことになるのだから。いずれにしても、ワルツ《金と銀》の背後に、ウィンナー・ワルツ=オペレッタの彩なす金・銀を支えたパトロンとしての侯爵夫人の功績が見え隠れする。ところで、お邪魔虫から一言。合唱曲版《金と銀》は、「金や銀に目が眩まないよう心すべし。子供たちの金髪や銀の鈴のような笑い声……そこには金と銀よりももっと豊かなものが宿っている」と。この曲からは、セレブ至上主義やマネーゲームはほどほどにとのメッセージも聞こえてくるのだ。
05 《ルクセンブルク伯爵》のワルツ:知名度では劣るとしても、《メリー・ウィドウ》と並ぶレハールの代表作《ルクセンブルク伯爵》は、音楽的には互いに似通った雰囲気を持っていて、レハール・ファンを随喜させる。両者は、いうなれば双生児的な間柄にあったのである。とはいえ、それぞれが相異なるベクトルを持っていることもまた事実。これには、リブレット担当者の違いも大きいが、さらには後者において明瞭となったレハールとプッチーニとの関係も見過ごせない。実際に、両者が互いに敬愛の念を抱く親密な間柄であったことは諸々の記録にも残されている通り。そしてなによりも、レハールがプッチーニから受けた影響は、《ルクセンブルク伯爵》の舞台がすでに不朽の名作となっていた《ラ・ボエーム》との共通性をもっているといった点に端的にあらわれている――《ルクセンブルク伯爵》は舞踏化された《ラ・ボエーム》なのだ。レハールがプッチーニのヴェリズモの手法を仰ぎ見ながら、それまでの〈喜歌劇〉とはひと味もふた味も違う新境地を開いたことは、〈オペレッタの銀の時代〉の代表であったレハールの立ち位置を如実に示していよう。このような形でオペレッタが新しい時代のオペラに接近したことは、シュトラウスには見られなかった局面であった。《ルクセンブルク伯爵》は《メリー・ウィドウ》の4年後に書かれているが、この4年のへだたりはオペレッタの歴史の上で、実際の時間の流れよりもずっと大きな意味を持っていたのだ。
06 《ジプシーの恋》のワルツ:《ジプシーの恋》を中心に、レハールの主なオペレッタをレビューした。いずれの作品も、ウィンナー・ワルツはいわずもがな、東欧やロシアのスラブ的な舞曲のリズムを巧みにくみあわせ、それらに哀愁を秘めたメロディーを絡らませていく。そこには、〈オペレッタの銀の時代〉を代表するオペレッタ作家としての名声を勝ち得たレハールの本領があらわれている。この限りでは、功成り名遂げた不世出の音楽家のキャリヤーといえるが、しかし、そうしたレハールもまた、ご多分に漏れず20世紀前半を生きた芸術家の宿命であった国家社会主義者たちの悪意から免れることはできなかった。大戦の後、滞在先のチューリヒで愛妻ゾフィーを、レハールのオペレッタを支えた名テノールのタウバーを立て続けに失ったことは不運の極みだったにちがいない。失意の果てにか、レハール自身も、一人寂しく帰郷したバート・イシュルの地で後を追うように他界する。「音楽の全能の力を自家薬籠中のものとし、喜びを輝かせ、苦しみを忘れさせる者」とウィーンの旧居(ヌスドルフのレハール・シカネーダー屋敷)に掲げられた銘板に刻まれている。この言葉の裏に、レハールのオペレッタを聴くときにいつも私たちをとらえてはなさない、あのどこかメランコリックで切なくも甘やかなメロディーがいかほど鳴り響いていることだろう。
07 《チャールダーシュ侯爵夫人》のワルツ:エメリッヒ・カールマンの名前はレハールほどは知名度が高くないにしても、オペレッタ・ファンには見落とせない。彼の作品は、ウィーンでは愛好家のお気に入りアルバムに必ずといっていいくらい入っているはず。レハールが後半生においてウィーンを離れてベルリンに活動拠点を置いたのとは違い、カールマンは自作をずーっとウィーンで初演したことも当地で愛好される理由かもしれない。レハールがオペレッタをオペラに近づけようとしたのとは違い、カールマンは、レハール・スタイルを本来のオペレッタへと戻し、さらに、ミュージカル風の味付けもした。代表作としてまずは、《チャールダーシュ侯爵夫人》。タイトル通り、ハンガリーの民俗舞曲チャールダーシュが存分に楽しめる。ブラームスやチャイコフスキーにも作例があるように、この言葉と音楽にはよく接する割に、私たちにはまだまだ馴染みにくいけれど、むしろ、この作品からチャールダーシュの神髄が味わえようというもの。作品自体は、ウィンナー・ワルツとチャールダーシュが対等に配置されて、妙なる舞曲の玉手箱。まるで、ハンガリー=オーストリア二重帝国のありようを反映しているみたい。ワルツも流麗そのものだけれど、〈チャールダーシュ侯爵夫人〉ことシルヴァが「火のようなチャールダーシュ」と歌う一言がきらりと光っていて印象的。まさに矜持に裏打ちされた言葉ではないだろうか。チャールダーシュあるが故にワルツもひときわ引き立っている。
08 《マリッツァ伯爵令嬢》のワルツ:カールマンの代表作《チャールダーシュ侯爵夫人》に劣らず魅力的な《マリッツァ伯爵令嬢》を取りあげた。土の香りが漂うジプシーの音楽と優雅なウィンナー・ワルツとが塩梅よく配合された出色の喜歌劇。カンカンも挿入されていて、カールマンのサービス精神には感心させられる。そんな一端にも正当派オペレッタ作家の真骨頂が認められるが、しかし、ここにはすでにミュージカル的な味付けも見て取れる。それにしても、伯爵令嬢とウィーンから来た青年貴族タシロ(当初は「わけあり」で身分を隠して)が互いの愛を確かめ合う二重唱のなかで「神の与え給うたワルツを……」と歌われるのが印象的――そんな大袈裟な言い方ととる向きもあるかもしれないが、ウィーン児のワルツに対する心情がはからずも吐露された心憎い言葉で、言いえて妙である。ハンガリーの地で、ワルツに事寄せてウィーンへの思いが強烈に表明されるのだ。後に当のカールマンにとってウィーンが手の届かぬ所となるので、タシロのウィーンに寄せる郷愁の念は、エメリッヒの行く末を予見しているようでもある。ナチス・ドイツの台頭により他のユダヤ系のオペレッタ作家と同様にアメリカに亡命せざるをえなくなる。《マリッツァ伯爵令嬢》の作曲家はワルツの都にもチャールダーシュの大地にも戻ることはかなわなかったが、このことはオペレッタが新大陸に渡ってミュージカルに変容していく成り行きと並行している。
09ツィーラーのワルツ:今回取りあげたツィーラーは、ワルツを数多く作曲し、そして後にオペレッタを20曲以上も書いた点でヨハン・シュトラウスU世と似ている。ただ、ツィーラーが歩兵連隊の軍楽隊長を長らく務めていた経歴はシュトラウスとは異なる点。それがあってかあらぬか、どちらかと言えば、跳ねるようなリズム感のメロディーに男性的な感覚が反映しているようにも思われる。シュトラウスほどの知名度は望むべくもないけれど、今日でも演奏されるワルツの曲にはそれぞれに独自の趣向が凝らされているものが多く、その創意において、シュトラウスにひけをとらない。ワルツの《ウィーンの娘っこ》(原題はヴィーナリッシュでWeaner Mad'ln)、《ウィーン市民》、《ドナウの伝説》等々、いずれも聴き応えのある個性的な佳編である。毎年、四旬節も間近い今時分(つまり謝肉祭の終わり頃)に開かれるウィーン国立歌劇場のオペラ座舞踏会で、社交界入りするワルツ王子(デビュタント)たちが礼装でワルツ王女(デビュタンティン)をともなって入場する場面でツィーラーの《扇のポロネーズ》が演奏される。オーパン・バルの中でもひときわ脚光を浴びる晴れがましくも目映い儀式にまことに似つかわしい威風堂々の曲である。この曲こそが、ツィーラーの最もよく演奏される代表的ナンバーかもしれない。
10 《放浪者たち》のワルツ:ツィーラーのオペレッタで今日でも話題になるのは《放浪者たち》ばかり。《観光案内》がその2番手にあげられる程度だろうか。他はすっかり忘却されて、演目にあがることはない。「忘却とは忘れ去ることなり」の命題が思い出される。《放浪者たち》は、シュトラウスやレハールのオペレッタでお馴染みの男女の愛のロマンスは後退し、ウィーン民衆劇が得意としたピカレスクな悪漢喜劇となっていてユニーク。オペレッタとジングシュピールとのアマルガムのようである。オペレッタには伯爵や男爵がお決まりのように登場するが、主人公が放浪するしたたかな悪漢の夫婦で、その点でも異色。ここに似たもの夫婦あり、である。舞台もウィーンやブダペストではなく、ベルリン。兵士たちが行進する勇ましいバレーまで付いて、まさに型破りてんこもりである。強いていえば、舞台となったバイエルン山地のホテルに集った湯治客や村人や兵士たちの盛り上がりがウィーン市中の賑わいを思い起こさせる。なによりも、音楽的にはワルツが精彩を放ち、まぎれもなくウィーンのオペレッタである。先回触れた《扇のポロネーズ》とはあまりにも対照的な雰囲気ではあるが、これもまたウィーンのオペレッタの守備範囲と納得する。
11 オスカー・シュトラウスのワルツ:〈銀の時代〉のオペレッタ作家オスカーは、ワルツの父やワルツ王のシュトラウス家とは無関係であることを強調したかったのか、それとも同家への遠慮からか、苗字を、本来はふたつsがあるシュトラウス(Strauss)の語尾のsをひとつ削ってStrausと綴っていた。バート・イシュルの墓碑にもそのように刻まれているので、終生、それを通したことになる。まるで、オペレッタの題材になりそうな逸話である。実は、ベルリンでブルッフに師事して本格派のクラシック音楽家を志向したStrausにオペレッタの道を進むよう促したのはStraussであった。代表作の《ワルツの夢》を始め《最後のワルツ》や《3つのワルツ》の3作品は、ワルツ王ヨハン・シュトラウス以来の伝統であったワルツとオペレッタとの不可分の関係をうかがわせる。今日でも上演されるのは《ワルツの夢》。プラーター公園の賑わいや緑地での開放感が伝わってくるような曲想のこの作品は、表題にたがわずロマンティックなウィーンの映像と結ばれている点でもまさに純正のウィンナー・オペレッタになっている。プラーター公園内のカフェで実際に演奏していた女性ばかりのオーケストラにヒントを得て成立したという経緯からしてもロマンティックであった。そのオーケストラの楽長に請われてワルツの曲を書いたのがこのオペレッタの発端であったという。はじめにワルツがあった、のだ。
12 シュトルツのワルツ:《ウィーンのカフェ》、《二人の心はワルツを奏で》、《プラーター公園は花盛り》、《ウィーンは夜が美しい》……シュトルツの歌曲、ワルツ、オペレッタ、いずれのタイトルもウィーンへの郷愁を誘うものばかり。一曲聴いただけでも、ウィーンの風景や映像と重なり目頭ウルウルである。こうした表題の修辞の奥に、二度の世界大戦や経済恐慌、度重なる結婚・離婚を経験したシュトルツの数奇な生涯の物語が生動している。なかでも、〈アインツィ〉ことイヴォンヌとの出会いに始まる後半生は映画さながら。ナチス政権を忌避しての滞在先パリで4番目の妻リリーに旅券等一切合切を持ち去られ、当局に拘束されるが、そこで天使のようなイヴォンヌ登場!これがすでに劇的。40歳も年下の彼女の手助けでアメリカへの亡命がかなう。戦後間もなく、5番目の妻アインツィとともに戦禍生々しいウィーンに戻り、ヨーロッパの音楽界に復帰……みずから、《ローベルト・シュトルツ》という名の希有のオペレッタを演じきったとおぼしい。ベナツキー等とともに合作されたオペレッタ《白馬亭にて》のなかで《我が恋の歌はワルツにかぎる》と歌われる。多事多難をくぐりぬけた〈最後のワルツ王〉を象徴する絶唱ではないだろうか。シュトルツ(Stolz)は、普通名詞としては〈誇り〉や〈プライド〉を意味する。まさにウィンナー・ワルツの伝統を締めくくるにふさわしい誇らしい最後のワルツの大家であった。きら星のようなウィンナー・ワルツの名曲の数々を網羅的に録音してくれたことにも、ウィーンから遠く離れた遠方のワルツ・ファンは感謝しなければならない。
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●参考書=オーストリア、ウィーン関係:
講義の中でも必要に応じて参考書を紹介したりしていますが、ここでは基本的な図書だけをあげておきます。
1) 池内紀/南川三治郎著『ハプスブルク物語』(新潮社とんぼの本)
2) 海野弘他著『ハプスブルク家の女たち』(GAKKEN)
3)加藤雅彦著『図説 ハプスブルク帝国』(河出書房新社ふくろうの本)
……いずれも写真や図版満載で手軽に興味深く読める、格好の〈ハプスブルク家のウィーン〉入門書。レファランスとしても使えるでしょう。
また、手元に歴史年表や地図を置いておくと役に立つでしょう。年表といえば、中学や高校の歴史の時間みたいな感じはしますが、でも、フランツ・ヨーゼフ帝の御代に起きたさまざまな出来事を考える場合、そのとき日本はどんな時代であったのか、それがわかれば、親近感がわいてくるはず。たとえば、ウィーンで万博が開かれた時(1873年)、日本は?……ここで少し日本史の勉強です。この前の年に、新橋と横浜の間に鉄道が開通し、なんと太陽暦が採用されているのです!日本がようやく近代国家になり始めたのですね……。
さて年表は以下の2冊がお勧め。
1) 『世界史年表・地図』(吉川弘文館)
2) 『山川 世界史総合図録』(山川出版社)
……2)はレイアウトもよく、テーマに応じてカラー図版が多数配置されているので、親しみやすく、テーマごとの整理もしやすい。しかし、オーソドックスな年表のスタイルを求めるなら1)の吉川弘文館版。
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